こっちに来て「人は人」っていうのをとても強く感じてます。そして、やっと私もその考えを実行に移せるようになりつつあります。

ついこの前まで兄ちゃんは、WhatsUpのグループで
「今日の練習に行くひとー?」とよく聞いてたみたいなんですね。
でもだんだん、「またかよー」「うるせー」って感じのメッセージが入るようになり、
しまいには誰からも返事なしみたいな。

友達は皆、誰が行くのか・行かないのかなんて全く気にしないんだそう。
そんなわけで、兄ちゃんも今はもう聞かなくなったっぽい。

学校行事とかバレーの練習とか、通常の授業とはちょっと違う動きのとき
私はいつも怪物くん達に、「誰々は行くって言ってた?」と聞いてしまう。
誕生日会に呼ばれれば、他に誰が来るのかが気になる。
だけど怪物くん達は何にも知らないんですよね。

出欠を出すものとか、「あっちで一緒に遊ぼうぜ」とでもしてない限り、
学校ではいつも一緒にいる友達なのにその子がどうするのかは知らない。
気にもならないらしいし、関心もない。

私は日本にいた時、「誰々が行くなら行く」「私だけが行かないとなるのは嫌」
という考えから、参加・不参加を決めがちだった。
でも今は、学校の保護者にはプライベートで会うような仲の人はいないし、
ママ友も少ないから、そういうことを聞く相手皆無。
で、結果的に、こちらのスタイルで「行く・行かない」を決める。
そして気付いた、これって非常に楽。
「行きたいか・行きたくないか」「都合は合うか・合わないか」
自分の気持ちと都合に正直になって決められばよい。楽です。

ほーんと私って肝っ玉ちっさいからかな。「人は人」って思っても、
どうしても周りの目、周りの動きが気になり、影響されがちで
私は自分のそういう部分が嫌で、変えたいってずっと思っていた。
オーストラリアにいるうちに変えられそうな気がする。
そして、そこを変えるだけじゃなくて
例えば怪物くん達のように「誰が来ようが来まいが行きたければ行く」をした結果、
出先に思ってもいなかった人や初対面の人が多かったり、
逆に頼りになる人が来ていなかったりしても、その場を楽しめるようになりたいわ。

他のことでも、ここにいると色んな部分で「人は人」っていうのをすごく感じるし、
そういう心持ちじゃないと、自分らしくやってられないと思うことがよくある。
3ヵ月くらい前にはマイケルがバレー部をやめちゃうかもと思う出来事があったけど、
翌日には何事もなかったかのような状態に戻り、
結局マイケルは自分のしたいようにし、周囲も別にいいじゃんみたいな感じで。
で、以降何か決まずい雰囲気があるかっていうとそんなこともなく、
マイケルは変わらずバレー部で皆と仲良く楽しくやっている。

人は人、人のことは気にしない。
それは人に不快感を与えても好きなようにするってことではなくって
様々な選択・判断地点において自分に正直に選び判断するってこと。
そして、人がどんな選択や判断をしてもヘンだなんて思わないし、むしろ尊重するのだ。

自分がハッピーでいるために人と違うことをすることが批判もされなければ
変わり者扱いされることも損することもないって、
これこそが自由だと思うし、ほんと楽だ。
そして、人のことをよく考えられるようにもなる気がする。
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